牡蠣

 中国には古くから「医食同源」という言葉があります。病気の治療や予防には、人間が本来持っている「自然治癒力」を高める必要があり、その為に「食事」は「医療」と同じくらいに大切だと考えられてきたのです。


 そして、ミネラルやビタミンが発見されるずっと以前から、人類に栄養食品として人気があった食べ物があります。そのひとつが「牡蠣」でした。古くは歴史の教科書の初めにも出てくる「貝塚」。ここで一番多く発見されたのが牡蠣の殻でした。つまり、人類は一万年以上も前から牡蠣を食べ続けているのです。さらに歴史を紐解くと、牡蠣のエピソードは続々と登場します。


 西洋では昔から、哲学と芸術を愛するギリシャ市民からローマの貴族にまで、珍重されてきました。テムズ河口の牡蠣欲しさにイギリス遠征を企てたと言われる「ジュリアス・シーザー」をはじめ、戦場でも牡蠣を食べ続けていた「ナポレオン1世」、一度に144個の牡蠣を平らげていた文豪「バルザック」、ドイツ初代首相の「ビスマルク」に至っては一度に175個を平らげたなど、歴史上の人物と牡蠣の逸話がたくさんあります。


 東洋でも、釈迦の時代から栄養食として食べられた記録がある牡蠣のスープ、古代中国では体に良い調味料であった蠔油(オイスターソース)など、すでに健康食品としての地位を確立していたようです。


 日本でも、戦国武将の「武田信玄」や儒学者の「頼山陽」など、牡蠣ファンはたくさん知られており、歴史上で見ても、牡蠣はいわば天然の健康食品の元祖とも言えるのです。

広島産牡蠣

 全国一の生産量を誇る広島産牡蠣は、瀬戸内の恵まれた自然環境と、先人たちの努力に培われた450年の歴史があるのです。


 広島で牡蠣の養殖が始まったのは「天文年間(1532年〜1555年)、安芸国において養殖の法を発明せり」(「草津案内」大正13年発行)と記されているように、16世紀半ば(室町時代末期)のことだとされています。


 その当時の養殖法は、干潟に小石を並べて牡蠣を付着させ育成を待って収穫する「石蒔(いしまき)養殖法」でした。
450年以上の歴史を経て、現在は四角い筏(いかだ)から牡蠣の種を持った貝殻を棒につけて垂らし、成育を待って収穫する「筏式垂下(いかだしきすいか)養殖法」になりなした。

 

「垂下式養殖法」を沖縄県の塩屋で宮城新昌先生が開発したことがにより、現在の筏式へと大きく進歩し、生産量を飛躍的に伸ばすことになりました。

沖縄には、カキ養殖の偉人として宮城新昌記念碑が建てられています。


 こうした時代経過を経て、現在はわが国の全生産量の約60%、また全世界の約15%を占めるまでになっています。

 牡蠣の味は、養殖場の自然環境に大きく左右されます。広島湾は、広島を代表する太田川をはじめ、多くの川から豊富な栄養分が運びこまれ、牡蠣の餌となるプランクトンが良く育つため、味も良く、栄養価も高い、高品質な広島産牡蠣が育つのです。


 広島産牡蠣は、丸みをおびた艶やかな身と、濃厚な味わいが特長です。また、他のどの産地よりも厳しい出荷基準が定められています。


 牡蠣の養殖をするにあたって、波が穏やかでないと筏(いかだ)が壊れたりし、吊るした牡蠣がこぼれ落ちてしまいます。その点広島湾は、周りが島や岬で囲まれているため、波が穏やかなので牡蠣の養殖に最適なのです。餌となるプランクトンが多く、牡蠣の種苗となる幼生が多く存在するのも理由の一つです。さらに、年間の水温変化が牡蠣の成育リズムにピッタリ合っているのです。


 また、牡蠣の筏(いかだ)は、広島湾全体で現在約12,000台あり、自然環境循環の一部となっており、海を浄化する役割をも担っています。


 川から流れた豊富な有機物が植物性プランクトンとなりますが、それを牡蠣がエサとすることで、広島湾が富栄養化になるのを防ぎ、赤潮の発生を抑える役割をも果たしているのです。


 それは牡蠣が、1時間になんと10リットルもの水を飲んでいるからです。もちろん牡蠣がゴクゴクと飲み込んでしまうわけではありません。牡蠣1個が通す(濾す)水の量のことで、植物性プランクトンを濾し取っているのです。


 そしてさらに、宮島から江田島のエリアの面積と牡蠣筏の数を考えると、約1週間で広島湾の水を全部濾す計算になってしまいます。こうして栄養分豊富な美味しい牡蠣に育っていくのです。牡蠣筏は、広島の風景の一部になっているだけではなく、広島湾の環境の一部にもなっているのです。

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